因幡の白兎

因幡の白兎

古事記に記されている古代の神話、因幡の白兎(素兎とも書かれる)

出雲大社に訪れたことがある人ならご存じの方も多いだろう

オオクニヌシと出会ったウサギのお話だが、皮を剥がれたり…なんとも物騒な・・・

出雲大社の御本殿裏にて、御本殿を見上げるウサギたち

2021Jul11 f5.0 1/125s ISO320 0ev

 

因幡の白兎の物語については調べればたくさん出てくるので詳しく書くつもりはない

ざっくり要約すると、

オオクニヌシの兄弟たちが因幡にいる美しい姫(ヤガミヒメ)に結婚を申し込むために全員で向かう

末っ子のオオクニヌシに荷物を持たせ、兄たちは先に向かう

島にいた白兎が本土に渡りたく、和邇(サメ)をだまして渡ろうとして返り討ちにあう(皮を剥がれる)

通りかかった兄たちに騙された白兎はそのまま塩水に浸かり、ぐったり

そこにオオクニヌシが通りかかり、どう身体を処置すればいいか教えたところすぐに治る

実は白兎は姫の遣いの兎神で、ヤガミヒメはオオクニヌシを結婚相手に選ぶ

といった話である

故に縁結びのための神話として語り継がれている

ちなみに私が古代神話を面白いなと思ったのは、出雲大社に訪れたときに購入したゲゲゲの鬼太郎で有名な水木しげるさんが著者の「水木しげるの古代出雲」という漫画

 

因幡の白兎について、色々とツッコミたいところが多い笑

まず、オオクニヌシ(大国主神)の兄たち(八十神たち)だが、末っ子の弟に荷物を全部持たせようとするなんてどうなのだろうか。兄として「お兄ちゃんが持ってやるよ」くらいカッコよくいて欲しい

そしてその兄たちだが、ヤガミヒメを弟に取られた腹癒せにオオクニヌシを殺そうと試みる。というか、殺した(その後、母の願いで出雲族の守護神が生き返らせてくれた)

「兄とは・・・」という感じだ

私に兄はいないが、姉が2人いる。年も離れている。小さいころは年の離れている長女は母親のように接してくれて、私が中学生高校生の時には海外に連れて行ってくれたり(費用は姉持ち)、頼りになる姉だった

次女も本当に可愛がってくれて、とても仲良しであった

それが私の兄弟像であるため、これは育ってきた環境によって感じ方が違うのだろうか…(にしても、殺しにかかってくるのは流石に非道過ぎやしないか)

 

続いて白兎、海を渡るためにサメたちを騙して渡ろうとするのだが、騙そうとしちゃいかん

兎神というくらいだから神様であろう者が、誠実にお願いをすれば良いのに何故初めから騙してやろうと企むのか。あと少し、というところでウソがバレてしまうところも実に物語らしい

そしてその後、兄たちに騙され苦痛を味わうことになる。これは因果応報なのか・・・(というか兄たちはクズなことしかしてない)

 

これらに比べ、オオクニヌシはとても良い人に描かれている。対比して良く見せたいものを際立たせるために悪役を用意するのは古代からあったのか。Disneyのヴィランズのような存在は必要悪なのか

 

 

「縁結び」についてだが、オオクニヌシのように日頃から善良な行いをしていれば良縁に巡り合えるというようなメッセージがこの物語から伝わってくる。

それはそうだと信じたい。どのような教えでも、同じようなことを説いていると思う

 

「良縁」とは恋愛において相性ピッタリな人と結ばれることで、「縁結び」とは意中の人と結ばれることらしい

後から幸せだなぁと感じられるのは良縁で、その時に幸せを感じられるのは縁結び、といったところだろうか

本当の幸せとはどちらなのだろうか。良縁があって相性ピッタリだとしても、好きという感情が生まれるとは限らず、結ばれても燃え上がるような恋心を抱かない可能性もあるのではないか

一方、縁結びが叶い好きな人と結ばれるとその時は特別にハッピーになれる、しかしその人が自分にとって良い人かどうかは分からないから続くかどうか分からないかもしれない

私が欲しいのはどちらだろう

きっと良縁が欲しい

 

この写真の出雲大社へは、2泊3日の旅行でその時に遊んでいた年上の方と一緒に行った

初めて会ったときから半年くらい経ち、既に数回会った後の旅行だった

出会った頃は、今まで会ったことのないような人で魅力的で、私が知らないようなこともたくさん知っている博識な方で、家系も住む世界が違うようなしっかりとしたお家柄の御子息だった、ということでとても興味を持っていた

しかし会う毎に、自分との違いを感じたり、お坊ちゃまだからか「私がどうこう」よりか「自分がどうしたいか」というのを強く感じるようになって、冷めてきていた

そんな時の旅行だった(本当は断りたいと思っていたのだが、タイミングを失い・・・)

その方は私に交際を申し込んでくれたが、断ってしまった

きっと出雲大社では私と結ばれるように願ってくれていたのだろう。その隣で私は「良縁がありますように」と願っていた

本当に申し訳ない

 

その後、「良縁」と思えるような出会いがあり、とても良い感じだったのだが、相手から急に冷められてしまった

結局は「因果応報」か…自分がしてしまったことは、自分自身に返ってくるのか…

 

出雲大社で手に入れた「幸せの鈴」とやらに毎日祈願するばかり…

善良な行いを心掛けよう