この声が枯れるくらいに、君に好きと言えば良かった
「この声が枯れるくらいに 君に好きと言えば良かった」
かなり強烈なフレーズだと思う
高校生の時に大ヒットしたサスケの「青いベンチ」
サスケ大好きだったなぁ(雨の遊園地、紫陽花の詩、12月のリングなどが好物でした)
人は傷付きながら、そこから学んで成長する
でもその後悔がなくなるわけではなくて、同じ後悔をしないように、次はうまくいくように
写真は青いベンチではないが笑
どこか寂しげなベンチ
中秋の名月に撮影。中秋の名月が満月だったのは2013年以来の8年ぶりで、2021年/2022年/2023年は3年連続で満月の日が中秋の名月となるらしい。そんな満月の夜でした
この日はいつも「痛かった」記憶が蘇ってくる
私には香港に駐在していた時にお付き合いしていた人がいた
付き合い始めた時は「香港にいる間の期間限定だな」と思いながら過ごしていた
彼もそう考えていただろうし、実際に付き合ってから二人でそう話していた
付き合い始めてから1年ほど経った時に彼から決意を聞かされる
「離れることは考えられない。君が帰る時に僕も日本に行って一緒に暮らす」と
全然話せない日本語で
突如、日本語を習い始めて「何だろう?まぁ嬉しいな」くらいにしか考えてなかったが、そういう事だったのか
日本語の先生にたくさん聞いて、手紙を書いて、それを私に伝えてくれた
それまでは期間限定として楽しんでいた自分がいた(もちろん好きだった)が、こう言われると真剣に考えざるを得なかった
日本に来て何をするのか、どう生きていくのか、養うほどの経済力はない、とすぐに現実的なことを考えてしまった。きっとロマンチックな瞬間だったのに
多分、たくさん悩んで、たくさん考えてくれたのだと思う。今までの自分の生活を捨てて、何も分からない国で相手についていくと言うのはよっぽどの覚悟が必要だ
その覚悟を私は真摯に受け止めようと思った
それから1年後くらいに私は日本に帰任となった
その時にはもう日本に来る段取りはついていて、私の帰国の5か月後に彼が引っ越してくることになっていた
日本に帰って来てからは、一旦実家に戻り、二人で住むための家を借り、引っ越しやら家具家電の調達やら準備を進めていた
また、私は仕事を退職し、次の会社に入社するまで有休消化期間として休みが1ヶ月程あり、その半分くらいはアメリカ旅行に出掛けていたりと忙しく過ごしていた
私が帰国してから約2ヶ月後、彼が日本に遊びに来た
空港まで迎えに行き、到着ゲートから出てくる彼を待つ。きっとすごい嬉しそうな顔をしてくれるんだろうな、楽しみだな、とウキウキしながら
彼が出てきた
私を見つけるなり浮かない顔。全く嬉しそうじゃない
明らかに様子がおかしいので伺う
「どうしたの?」
彼は答える
「他に好きな人が出来た。別れたい」
私は言葉の意味を理解できないでいた
- あんなに私のこと好きだったのに?
- これから日本に引っ越して来るのに?
- 二人で住む準備も進めてたのに?
- それなら何のために遊びに来たの?
そんなことが頭の中でグルグルグルグル
そこから私は「壊れて」しまった
自分が自分じゃない様な
泣いたり
縋ったり
怒ったり
彼からすれば、今まで歳上でしっかりしてると思っていた恋人のこんな姿を見て、幻滅していたかもしれない
それから数日間、日本に彼がいた訳だが、お互いが混乱していたりまともじゃなかったと思う
私がお願いしたのは、「別れるのは分かったが、まだ別れていない。最後に恋人として過ごさせて欲しい」
切ない
最後は恋人らしく過ごすことが出来、空港でお別れ
号泣する彼
泣きたいのはこっちだ
一人で帰りの電車に揺られる
憔悴しきっている
彼から電話が掛かってくる。電話越しで号泣している。このような状況を作ったのは彼なのに、何故私が慰めなければならないのか
それから数か月経ち、今度は私が香港に行った
彼と話がしたかった
数か月の間に「何故」なのかを自分なりに考えていた
- 私が引っ越しや旅行で忙しく連絡無精になってしまったのは確かだし、頻繁に連絡するのが好きな人だったから寂しい思いをさせちゃったな
- やっぱり自国を離れて、他の国で暮らすのが怖くなっちゃったかな
- 突然、隣から居なくなっちゃったから混乱してたのかな
など、「まだ自分のことを好きなんだろう」という男性脳っぽい考え方をしていた笑
香港で私のお気に入りの旺角にある小籠包屋で待ち合わせ
久しぶりに見る彼はよく日に焼けていて、私の知る彼とは少し違う人のように見えた
彼から聞かされた話
- 既に新しい人とお付き合いをしていること
- もうすぐ同棲を始めること
付き合っているのは分かっていたが、まぁ展開の早いこと
レストランでは(泣いてしまいそうだから)話せないことを話したいからと言って、食後は私の宿泊していたホテルに来てもらった
そこで何故、すぐに他に好きな人が出来てしまったのか聞いてみた
- 私からの連絡が減ってしまった
- 繋がりを感じれなくなってしまった
- 実際の距離が出来たことを痛感してしまった
- 寂しかった
と、彼は言う
続けて彼に問う
「日本に来るのが怖くなっちゃった?」
彼は答える
「君が居たから、何も怖いと思ったことはない」
と
更に問う
「じゃあ、もし私が日本に帰らずに香港に住み続けてたとしたら、別れてたと思う?」
彼は答える
「そんな選択肢はないって言ってたじゃないか!」
「いや、「もし」の話だよ」
「それなら、別れることは絶対無かったと思う」
だとしたら理由が分からないじゃないか
新しい人の方がもっと好きになってしまったから、とでも言ってくれた方がよっぽどマシだ
この時にはもう号泣だ
理解が出来ず、ただ帰国しないで香港に住み続けていればよかったと思うことしかできなかった
それからまた数か月が経ち、本来なら彼が日本に引っ越してくる日になった
彼は既に引っ越し用の航空券を買っていたので、それを使って遊びに来るとのこと
この時、彼は新しい恋人と続いているし、同棲もしている状態
なのにうちに泊まりに来ると
そういった行動も理解できなかったが、私はまだ好きだったので彼がいる間のプランをいろいろ建てたり、仕事は休むように段取りしていた
彼が来た
私の記憶にある彼は「私のことを大好きだった彼」だ
でも、そこにいる彼はその人とは違って、私のことをそんなに大事にはしない
私は好きだった上に、戻ってきてほしいなど思ってしまっていたから余計に優しく大事にする
二人の関係に相違がある
そこに違和感と苛立ちを覚え始める
彼が来たのは中秋の名月の日
私は月見ハンバーグを振る舞う
美味しくできた
私の家にいるのに、新しい恋人とずっと連絡を取っている彼
仕舞いにはビデオ通話を始めている
ここ、私の家だよね?何しに来たの?
と思わざるを得ない。口には出さないが
きっと少しでも期待してしまうことが悪い
私の好きなツイッターでもこのように言っている
ストレスは期待をするから生まれるのよね。
期待をすると、「期待通りにならなかったらどうしよう」って思うから。
これを防ぐためにはね、色んな可能性を考えて、どんな場合でも対応できるようにするのが1番よ。
つまり「選択肢を増やす」の。
— 精神科医Tomy (@PdoctorTomy) May 13, 2021
仰る通りだ
このストレスは明らかに「期待」から生まれていた
彼が香港に帰る日
バスで空港まで行くのでバス停までの見送り
そこで私は彼に伝えた
「もう一生、私の人生に関わらないでくれ」
私なりの精一杯の反抗と、自分自身を守るための言葉だった
もう苦しい思いはしたくないし、大事にしてくれないならいらないと思ったし、解放されたかった
まだバスに乗り込む前の乗車列に彼を残し、私は家に帰った
と、少し物語調に書き綴ったが私の体験である
中秋の名月には、彼にハンバーグを作って「痛い」思いをしたなぁと思い出す
まだ好きとか、そういう思いはなくなった
よく言われる「時間が解決してくれる」とは正にその通りだった
大抵は一緒に居た時間の半分くらいの時間が掛かるらしい
今となってはとても感謝している
彼のおかげで私の香港生活は充実していて楽しかったし
人を愛することを知ったし
愛されることの心地良さも知ったし
彼から学んだことはたくさんあった
この声が枯れるくらいに 君に好きと言えば良かった
たぶん、彼が言って欲しい時、必要としている時には言えてなかった
信頼は言葉ではなく行動。
愛も同じ。
— 精神科医Tomy (@PdoctorTomy) September 2, 2020
と、Tomyさんも仰るよう、言葉だけではダメだ
言葉では何とでも言える
でも私には行動も足りてなく、信頼も愛も失った
ただ、日本人によくありがちな「行動や態度から気持ちは伝わってるでしょ?」というのも違うと思う
もちろん伝わることもあると思う
けど、言葉にして伝えることもとても大事
言ってもらう方も言う方も、どっちも嬉しくなる
どちらか片方ではダメなんだということ
この後悔から学んで次に生かそうとしていることはたくさんある
なのにまだ、私には上手くできないようだ・・・